Seekerの屋根裏部屋

思考を整理していくブログ(仮)

日本人が考えるメンタリスト像のズレ

こんにちは

今回は"日本人のメンタリスト像のズレ"について考察していこうと思います。


あまりピンと来てない人もいるかもしれません。


さて、日本のメンタリストといえばだれでしょう?
そう、メンタリストDaiGoさんですよね。

ここで注意点があります。それは、


メンタリストを目指すにあたり「DaiGo さんをメンタリストの理想像として捉えてはならない」

ということです。


本来のメンタリストはミステリアスでどこかとらえどころがなく、それでいて、相手へのアプローチもスピリチュアルチックです。超能力とはっきり言わないまでも、そこら辺を曖昧にしてぼかすんですよね。そうすることで気をひいて心を掴むというか。

その点DaiGoさんは「科学」をテーマとしてパフォーマンスなり心理戦をしてるんですね。なので、パフォーマンスにも科学的な説明なり根拠なりを並べているんです。
それはそれで、「権威効果」を狙ってると思うのでいいのですが、そのスタイルはDaiGoさんが考え出したものであり、万人ができるものではないですし、するものでもないと思います。


そこで話を戻しますと、DaiGoさんをきっかけとしてメンタリズムを勉強したり、実際パフォーマンスをしている人たちはどうも説明口調になりがちだと感じます。せっかくのミステリアスさがボロボロと崩れ落ちています。それによって子供っぽくなってるというか。(DaiGoさん本人を否定してるわけではありません。メンタリストとして成功してるのは僕にとってはすごいことですし、それを批判できる立場でもありません。)


あえてそうするならばいいと思います。しかし、メンタリストになろうとするにあたり、はじめからDaiGoさんのアプローチの仕方を真似するのはどうなのかな?というお話でした。

少し辛辣になってしまったかもしれませんが、それは、もったいないなと思っているからです。もっと昇華させる価値があるのに…と。


長くなりました。今日は以上です。

それでは